ロス4か月、リンクする心と身体
なぜか早くに目を覚まして、布団のなかで
気づけばホップくんのことをツラツラと考えていて
ようやく文章に書き起こしできそうだなと思った朝
起きあがってから今日が4回目の月命日であることに気づきました。
時間の流れ、節目感覚は不思議なものだなぁと思いました。
(そういえば、2回目の月命日くらいまで毎日、ほぼ亡くなった午前2時くらいにムカムカして目が覚めていたことも思い出しました。
眠れないので起きあがって、ホップくんが息をひきとった場所で横になると不思議と楽になって、再び床につく日々でした。)
これまで、何度か振り返りにチャレンジしようとしたものの、
考えているうちに段々悲しくなってきて、
このまま書いたら
ぐちゃぐちゃのドロドロのジトジトした文になるな、と思ったので
文書化できずにいました。
なんとかまとまめられそうな気になるのが4か月後なのかもしれません。
備忘録として、それから、自分がロスになって、この先どうなっちゃうの?!と不安になっていたとき、ロス先輩達のお話でかなり救われたので、お役に立てるかどうかは謎ですが、私もロスの経過について綴ってみたいと思います。
さて、少し前までは
どうしたらホップくんを生かせるだろうか
取り戻すことができるだろうか、
また会えるだろうか、
あのとき、どうしたらよかったのか、
といった無限の思考実験ループにいましたが、
ようやく抜け出せたような気がします。
時間と心に備わった自然治癒力の大きさを感じました。
よく、自分にとって大切な存在をなくした人が、そのときの心境を
「自分の身体の一部を失ったようだ」と表現されているのを耳にしていましたが、
その感覚が、わかるような、わからないような、正直イマイチ、ピンときていませんでした。
でも、ホップくんを失った感覚を表現するなら、まさにそれ。
今では非常によくわかる気がします。
心と身体の不思議で、
事故などで腕を失くした人が、ないはずの腕の痛みを訴えることがあるといいます。
その痛みを癒すのに、残った腕を鏡に映して、
あたかも、失ったはずの、もう片方の腕があるように見る。
鏡像だとわかって見る状態でも、
脳は失った腕があると認知、錯覚して、ある意味騙されて、
安堵した結果、痛みが消える、のだとか。
どんなに理屈で「もう腕はないのだから痛みは感じないはずだ」と、自分を説得してみてもダメで、
理屈では明らかに間違いなのに、あるかのように目で見ることで身体が納得して痛みを手放す。
痛みから解放される。
それと似たようなことかな、と思ったのは
畑の駅(直売所)に、ホップくんのようなフワモコなお客様のわんちゃんが
やってきて姿を見せてくれると、ホップくんではないとわかっていても
なんとなく、心の穴が埋まるような、ほっとするような、癒される感覚がありました。
畑ではそうでしたが、家での喪失感は、家で見る必要があるようでした。
ホップくんはおうちで亡くなったので、
それからはうちにいると、いろいろなきっかけでホップくんのことを思い出し、回想しては最後は息絶えるシーンが浮かんで悲しくなるというループでした。
それが、
うちにホップくんのようなフワモコお座敷わんちゃんが遊びに来てくれて
元気いっぱいの姿を見せてくれたときに
一気に悲しみ一辺倒だったのが、
ああ、元気いっぱい、楽しそう、、
まるでホップくんがいるみたい、、と、
なんとも言えない安堵感のようなものに包まれて
亡くなったときの時間で止まったままだった状態から、心の時計の針が先に進んだような
不思議な感覚になりました。
本当に感謝感謝です。
それから、
自分の身体の一部とは、
どの部分だったのか、と考えてみました。
胸のあたりにドカンと穴があいたような感じ。
ハートのあたり。
ドキンドキンと鼓動する自分の心臓とホップくんのドキンドキンがリンクしていて
自分の中では、ほぼつながっていたんじゃないかと思います。
それが突然なくなってしまったので、身体的喪失感があるような。
ハートとハートがつながるって、きっと本当だと思います。
最近、るうびいちゃんともハートがリンクしてきている感じがあります。
心の動きが連動する、シンクロするような、
ともに喜んで、ともに幸せを感じて。
心臓が発する周波数、ハートビートが共鳴する感じ。
その繰り返しで段々とつながっていく感覚。
るうちゃんは、とても怖がりで、
おびえてしまうと、声をかけても伝わらない感じだったのが
「大丈夫だよ。」と声をかけてあげたり、目で伝えてみたりすると、心が浸透していっているような感じになってきました。
あ、コネクトしてきている、と感じます。
ホップくんとは、3年半の暮らしの中で、
遅くに出逢った分を取り戻すかのように
みっちり密着生活だったこともあり、
極度のさみしがりさんだったこともあり、
きっと、がっちりリンクしていて、
お互いに呼応しあっていたと思うのです。
ホップくんを失ったとき、
私は疲れがでて寝たおして、
意識がぼんやりしていました。
心身ともに力が弱まっていたのかなと思います。
私のハートの力が弱って、
それで、ホップくんも弱ってしまって、
さらに私が弱っていたので、それに気づいてあげられなくて、手遅れになってしまったのではないかと思います。
動態調査の死者数折れ線グラフでは
冬以外では8月にピークがありました。
夏の疲れが出る季節なのでしょうか。
手帖を見返すと、過去にも何度か8月に倒れた年がありました。
8月、お盆明けは要注意だったんだ~!
ちゃんと注意しておけば、、、
自分の体調管理力の弱さが悔やまれて、
飼い主として不甲斐なく、申し訳なく、大いに反省です。
ホップくんの体力を優先して仕事をしてきたつもりですが、
飼い主の体力に余裕をもつことも
飼い主のつとめと気づきました。
飼い主の体調も万全を期して仕事をしなければならないと肝に銘じ、
同じ轍を踏まぬよう、来年度は、さらなる働き方改革をするつもりです。
さて、
心と身体のつながりを感じたことがもう一つ。
ホップくんが絶命したとき、ショックのあまり、
全身に悪寒と震えが走り、ふらふらと倒れこんでしまったこと。
ドラマの家族の死を病院で聞いて倒れこむ人みたいに。
あれは、謎のおきまりのパターン、なんでかな~?と思っていましたが、
実際に起きる現象なんだと目から鱗でした。
たぶん、自分の心臓も止まりかけ状態だったなんじゃないかと思います。
リンクしているから。
それから、その現象が再現しかけだったのかも、と思ったことがありました。
るうびいちゃんのフードを買いにワンちゃんがいるペットコーナーにいくことがあります。
そこには可愛い仔犬たちがいて、つい、その中でホップくんの面影を探してしまいます。
あるとき、
たぶん、全然似てないのだろうけれど、
妙に似ている気がした子がいて、
思わず、はぁ~~っと気になってみていたら、
わんわんお食事タイムになり、
その子が待ちきれずにクンクン鳴き始めるではありませんか。
その切ないクンクン、キュンキュン声に胸がギュゥーーー!!っとなり
ブルブルッっと身震い、震えがきました。
そのあと、じわじわと苦しくなって、
帰りの車の中で、シートを倒して横たわりながら、
あ、これ、もしかして、
フラッシュバック?!トラウマ!?と身に起きた異変を感じました。
あまりないとは思いますが、
重度のショックを受けた方は、初期の震えにご注意ください(笑)
とりあえず、安静にすることが大事かも、と思いました。
いろいろ波はありながら、
今、ようやくループから抜けたと思います。
それまでは、ただただ、悲しくて、
いない現状を受け入れることなんか、到底できっこないし、
良かったこともあったな、なんて過去形にすることを認めたくもない、
という心境だったところから
やっと、
とても悲しいし、受け入れたくないけど
可愛かったし、楽しかったし、幸せだったし、という
過去形であること、思い出として心に描くことを容認できるようになりました。
それから、
苦しくて悲しい、光を見つけられなかった状況の中から、
起き上がって、また何とか光を見つけて歩いて行こうと思える自分を発見しました。
きっとこの先、たとえどんなに光が見つけられないように感じる世界になっても
きっと自分は光を見つけるべく、歩きだせるだろうと思えました。
自分の生きる力に驚きました。
とても苦しくて、どんなにもがいてみても
溺れてしまって、イヤになってしまうとき、
とりあえず、
だた、放心して、脱力して、時の流れに流されつつ、息を続けて、足がつくような浅瀬まで流されてみる、という
今まではもっていなかった術を身につけた気がします。
あんなに愛らしい命と一緒に過ごせた幸せを
お別れの辛さと共にきちんと感じるられるようになりました。
まだまだ、未経験のことがたくさんあって、
人の心のこと、まだまだわかっていない未熟者ですが
前よりちょっとは痛みのわかる血の通った人間になったかもしれないと思いました。
気のせいかもしれませんし、今だけかもしれませんが(笑)
これまで、実は、無理だった
ジメジメした後ろ向きな、
悲しさいっぱいの歌詞の曲も
味わい深く聴けるようになりました(笑)
何度、リピートして聴いたことか。
歌詞に気持ちを揺すられるのが
好きじゃなくて、
何を言っているかわからない外国語の歌、
楽器、電子音だけの曲、なんならリズムだけでもいいかな、くらいでしたが(笑)
日本語で悲しみを歌う、染み込むような歌の良さを知りました。
悲しみを浄化する力があるのかも、と思うようになりました。
ロスにも波があって、浮かんだり沈んだりすると思いますが、
4か月経ったロスは、こんな感じでした。
たぶん、人それぞれのロスとの向き合い方があると思いますが、私はこんな感じでした。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました。
photo by Sachiko Miuraさま
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