お花が大好きになりました。
最近、お花が好きでたまりません
可愛くてたまりません
先日、美容院に行ったときに、カットしてもらいながら、
可愛いものたちについてお話していたら
(おしゃべりにおつきあいしていただいていたら)、
美容師さんが
「なるほど花も、犬、猫、インコと同じくらい可愛いんですね。それは、可愛でしょうね。」
というようなことをおっしゃっいました。
なるほど、私にとってお花は、
確かに、それくらいのラブリー度だなぁと自覚しました。
若い頃は自分がこんなにお花好きな人間になるとは、夢にも思いませんでした。
かつての私は花より団子。
お花は可愛いけれど、食べられないよね。
どうせ植えるなら食べられるもののほうがいいじゃない、合理的だよね。
という感覚でした。
それから、切り花は美しいし素敵だけれど、手にした瞬間から、
いつかは枯れてしまうのが気になってしまう。
そして、枯れてしまったら、どのタイミングで、どう処理していいのか迷う。
楽しむよりも、それが気になってしまうのでした。
そんなかつての私でも、たまには切り花を買って飾ったことはありました。
それは鑑賞というよりも、どちらかと言えば、香りを楽しむことが目的でした。
大好きな香りのお花、フリージア。
高校の帰りに家の近くの花屋さんに立ち寄って見ていた時に、その香りの素敵さを知りました。
気分転換したいな、という日には、少量で売っているものを買ってきて、お部屋で香りに癒されていました。
黄色い色からも元気をもらえます。
それ以外で自分で買うときは、
枯れていくのを見るのが切ない切り花よりも
長い期間元気な姿を安心して見ていられる小さな鉢植えのお花を選びました。
そういえば、鉢植えの薄ピンク色のベコニアが好きだったなぁと思い出しました。
そんな鉢植えベコニアも、たくさん花を咲かせるうちに
可愛かった姿から、だんだんと茎ばかりが長くなってきたり、
だんだん元気がなくなってきたりして、見ていて悲しい気持ちになってきて、
美しさを維持するようなお世話ができない自分に残念な気持ちになって
最終的にはモヤっとするというのがパターンでした。
今一つ、心の底からシンプルに花が大好き!!と言えるまではいかなかったという感じです。
そんな私が、どうしてこんなにお花好き!になったのか、というと、
切り花達に悲しみを癒してもらった、ということが一番大きいと思います。
2021年8月に急逝した畑の駅長で看板犬のホップ君。
亡くなってしまった現実はおろか、悲しみさえも受け止めきれないときがありました。
そんなとき、ホップ君とのお別れに際して、たくさんのお花をいただきました。
表現しようのないどんよりとした心に、みなさんの優しさと目にしたお花の美しさが
心に優しく明かりを灯して慰めてくれました。
そんなお花たちも次第にしょんぼりと枯れていってしまいましたが、
その枯れていく様がまるで、
しょんぼりとした私の心に寄り添って、一緒に悲しんでくれているような、
悲しみの中でも時間が過ぎていくのを身をもって教えてくれているような、
なんとも不思議な癒し効果がありました。
悲しいときには、励ましてもらうよりも
一緒に寄り添って悲しんでもらえたほうが癒されるってことがあるのだな、と思いました。
それから、
悲しくて苦しいときが永遠に続くようにしか思えない中、
必ず終わるがくるのだということ、
そして、
どんな美しいものも、この世界のものには全て終わりがあるのだということを悟らせてくれたようでした。
終わりがあるから、今の美しさがあるんだということを
変容していく花のあるがままの姿を通して、伝えてくれるような気がしました。
枯れてしまったお花たちを、どうしよう、どうしたらいいかなと迷っていた時、
お花をくださった方でお花に詳しい方が再来してくださったので、
相談したら、「これはもう、枯れちゃったからポイします。
これはまだ大丈夫だから、茎をカットして飾ります。」と
さらりと教えていただいて、そうか、枯れたお花はポイするのね。と
さらりと処理していく感覚を教わりました。
そこから、枯れたお花を片づけたり、活けなおしたりしていくことが
先へ進めていく感覚、心を少しずつ取り戻すのに役に立ったように思います。
お花は心に寄り添ってくれるのだと気づきました。
だから、お葬式や入院のような、心が沈みがちなときは切り花なんだな、と腑に落ちました。
それから、栽培を通して、お花は生命体というよりも、
生命体が生み出した命の輝きの産物、という感覚が生まれたのも
お花の終わりを受け入れやすくなった一因です。
それまではお花=命、と重く感じていたので
枯れる=死と、とても悲しく感じていました。
お花を摘む、申し訳ない、という罪悪感もありました。
でも、栽培しているうち、次第に、
お花を摘んだほうが植物の本体には負担がかからずに
実はパワフルになるということ知りました。
それは、どの植物においてもおおむね一緒。
それを感じてからは遠慮なく積むことができるようになり、
シンプルにお花を楽しむことができるようなりました。
そうして、今では、お花の美しさと儚さに、そのときに出会えたことに感動するようになりました。
枯れてしまったときには、やっぱりちょっと悲しいけれど、
それ以上に感謝の気持ちと時の経過を教えてもらって、すべてには終わりがあること、
終わりの大切さを思い出すようにしています。
今の美しさ、ときめきを大切に、と伝えてくれているようなお花たち。
そうだった、今、ときめいたり楽しんだりするために、生きているんだったな、
そういうことこそが、大切だったんだな、と思い出させてくれる存在。
私にとって、お花は心に輝きと喜びを与えてくれて、
今を生きることの大切さを振り返らせてくれる、なくてはならない存在になりました。
そんな美しくて、ありがたい存在のお花ですが、
今はシンプルに可愛いし、ときめくから大好き!なのでした。
犬好きさん、猫好きさん、鳥好きさんたちと同じように
何かを好きな人同士が大好きな存在について話すときって
とっても楽しいものですよね。
これまでの好き好きトークに加えて、花好きの方とお花のすばらしさについて
共感しあえるときの幸せもできました。
「いやぁ、お花って、本当にいいものですよねぇ~」と
喜びを共有できるのも、嬉しいのでした
そんなわけで、畑の駅では、自分の好きな花、ハーブ、野菜、
好きなものに囲まれて、好きといっていただける方とお話できて
とても幸せなのでした
これからも身の回りを大好きなものでみたして
みなさんをお迎えして喜びをご一緒できるようにしたいと思っています
そんな気持ちの一つとして畑の駅にエディブルフラワーガーデンゾーンと
切り花ガーデンゾーンをつくりました
少しでも、お花のきれいさ素敵さをお伝えできたら、お楽しみいただけたらと思っています
そうそう、ガーデン巡りの楽しみもできました
教えていただきました
札幌から十勝にやってきた2014年。
十勝のガーデン巡りパスポートのようなものがあることを知っても
そのときは全然魅力を感じていませんでした
十勝には各地にガーデンがたくさんあるのですが、
どこまでも広がる緑と空と山並み、自然を感じられる十勝で
どうしてわざわざガーデンを巡る必要があるのかしらん、
とイマイチピンと来ていませんでした
どこもかしこも自然なのに、なぜ、ガーデン???と思っていましたが、
今ではガーデン巡りが楽しくてしかたがありません。
人が創り出した人が快適にいられる美しい自然環境
近くで鑑賞できる季節ごとの美しい植物たちの姿
管理されている方たちの仕事、美しい植物の見せ方、楽しませ方、心意気に心を打たれるのでした
自分が栽培してみて、その手間や大変さがわかるからこそ、
そのありがたさ、素晴らしさを感じます
入場料はかかるけれど、その労力に比べたらタダみたんなものだなぁ
素敵な環境をありがとうございます、楽しませていただきます
という感謝の気持ちでおじゃまさせていただいています
しかも、そんな幸せな世界で愛犬が幸せそうに歩く姿を楽しめる
本当に幸せな世界を提供していただいて感謝感謝なのでした
世界は美しくい幸せに満ちているなぁ、ああ、幸せだなぁ
そんな日々を過ごしています
みなさんも幸せがたくさんみちますように
長文にお付き合いいただきありがとうございます