お別れから一年経った心の変化
8月22日はホップくんの一周忌でした。
一周忌にホップくんを偲んで何をしようかな、と
考えているうちに一日が終わって
特別なことは何もしない一日でした。
でも、気が付いたら、ホップくんのことをずっと考えていた一日でした。
特に何かセレモニーはしなかったけれど、
何度も何度もホップくんのことを想い続けた一日。
それはそれでよかったのかな、と思いました。
一年経つ、少し前から、
気持ちに変化があったので、綴ろうと思います。
これまでは、
ホップくんのことを思い出すと、
最後は必ず悲しい気持ちでいっぱいになってしまっていたのですが、
可愛かったな、でとまって、最終的にホッコリ思い出すことができるようになってきました。
これまでは、
思い出す→悲しい→自分の至らなさを自分で指摘、後悔、深く反省、懺悔懺悔
の繰り返しでした。
「どうして、もっとおやつをあげなかったのか。」とか、
(すぐに太って腰痛発症するのであげられなかったけど、、、
もっと上手なあげ方があったのでは!)
「どうして、もっと抱っこしてあげなかったのか。」とか、
(けっこうしてたかもしれないけど。もっともっと!!)
とにかく、なんでもかんでも、
もっとこうしてあげたかった!みたいなものが次々と湧いてきて、
自分を攻めてしまう、の繰り返し。
愛すればこそ、なのですが、
イヤというほど、そのループを繰り返して、
やっと、
後になってから重箱の隅をつつくように、かつての自分を責めるのは、
今の自分が、当時の自分に後出しジャンケンしているようなもの。
それって、フェアじゃないよね。
と気づきました。
→、→、→、、、
おお、後出しジャンケンで責めまくっていたのか、と。
そして、
その時は、精いっぱい考えて、できる限り大事にしていたし、可愛がっていたよね。
かつての自分に厳しすぎるんじゃないかな、なんて、
と自分に対しても優しい言葉を自分でかけてあげられる心境になりました。
他の方から、かけていただいたことで悲しみから救われた言葉ですが、
なぜか、これまでは、自分から自分にかけてあげられなれなかった言葉でした。
ほっちゃんのために、しっかりと、飼い主として
至らない自分を認知しなくてはいけないと思っていたのだと思います。
反省をやりきって気持ちが次に進んだようです。
端的に言うと、
やり場のない気持ちを自分にぶつけて、自分で受け止めて、自分で昇華した、
ということでしょうか。
自分が納得、やりきれない想いを昇華するのに、
反芻するために、
一年くらいかかるのだなと、思いました。
心は理屈では割り切れなくって、
一歩一歩、
ゆっくりといろいろな感情を味わい尽くして
次に進んでいくものなのだなと思いました。
ほっちゃんのことが大好きだからこそ、
深く悲しむのであり、
お別れを受け入れられないのであり、
自分を責めてしまうのであり、
いつまでも責めてしまうのであり、
次へ進むのに時間がかかるのであり。。
面倒くさくて、合理的でなくて、
でも、それが人間味なのかもしれず、
そんな不合理さが生きもの人間としての愛おしさなのかな、と思いました。
まだまだ、ジタバタしてしまって、できないけれど、
辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、幸せも、
いろいろと焦らず、慌てず、
じっくりゆっくり味わいながら、生きていけたらいいんだろうなぁ、と思うのでした。
どっぷり悲しみの世界から
次の世界にきたっぽい、
今、一番思うのは、
あんなに可愛い、ホップくんと出会えて、
三年半もの間、一緒に生きることができて
本当によかったな、幸運だな、ということです。
本当に、感謝、感謝です。
ホップくんと一緒に生きた中で、
いろいろなことを気づいたり、教わったりしました。
それについては、また、綴りたいな、と思っています。
またまた、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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